西牟田靖のこれまで


 昭和45年(1970年)3月5日 大阪生まれ。

 勉強・運動ともに飛びぬけてできるわけではなかったが、根拠のない自信だけは人一倍強かった。中学のころ、洋楽のレコード(当時CDはなかった)やパソコン(FM−7)にはまり、自分が凝り性だということに気がついた。

 昭和63年(1988年)に神戸学院大学に入学。凝り性な性格と好奇心があいまって海外旅行にはまってしまう。今考えるとそれが人生の方向を決めるきっかけだったかもしれない。

 バブル崩壊直後でまだ景気がよかった平成5年(1993年)、コンピュータ会社に就職。上京。しかし世界一周がしたくて退社。ピースボートで念願をかなえる。

 その後フリーターをしていたが、たまたま遊びに行った 「GON!」(ミリオン出版)の編集部で仕事を依頼され、ライターになる。(平成7年(95年の春))

 最初の記事は「ピンクのおっちゃん震災日記」(「GON!vol.7」、95年)というもの。神戸の震災時ボランティア活動をしていたときに取材させていただいたもの。

 95、96年は「GON!」「裏モノの本」(三才ブックス)、各種成人雑誌などサブカルに強い突撃系ライターとして活躍。

 転機となったのは96年ごろ「格安航空券ガイド」(双葉社)に書き始めてから。豊富な旅行経験をもとにヤジ馬的な視点で書く。みずからを「世界を巡るヤジ馬」と称するようになったのはこのころだったと思う。97年には「僕たちの深夜特急」(スパイク)を一人で書き上げる。

 それ以降はアフガニスタン、空爆直後のユーゴなど自費で積極的に海外取材を敢行。このころ(98年)に「格安航空券ガイド」(双葉社)で知り合った加藤健二郎らに誘われて豊島区の東長崎に引っ越しした。

 三十を前に人生についてあれこれ悩んでしまった。2000年1月、愛車の原付カブ(新聞配達用バイク)にまたがり、ふらっとあてのない旅に出た。その旅は3年(〜2003年3月)にも及んだ。日本国内はもとより、戦前に日本が統治していた国、地域にも足をのばした。その途中の2001年の春、「世界殴られ紀行!」を出版。

2004年 高円寺に移住。旅の模様を発表すべく著書執筆の日々。

2005年 2月『僕の見た「大日本帝国」』を出版。ベストセラー。新潮ドキュメント賞の候補に。
       5−6月 沖ノ鳥島、硫黄島へ。
2006年 2月『写真で読む 僕の見た「大日本帝国」』を出版。
       6−7月 竹島上陸、対馬、小笠原へ。
      10月 北方領土再訪。
2007年 2−3月 香港、台湾、与那国島へ。尖閣を上空から訪問。
       8月 結婚。
      12月 新婚旅行でアルバニア、セルビア、マケドニアなどバルカンを訪問。
2008年 4月 韓国、那覇訪問。
       9月 軍艦島訪問、『誰も国境を知らない』を出版。


○主な掲載・出演媒体
・新聞/雑誌
「読売新聞」、「朝日新聞」、「毎日新聞」、「東京・中日新聞」、共同通信系の各地方新聞、「スポーツ報知」、「サンケイビジネスアイ」、「聖教新聞」、「夕刊フジ」、「週刊文春」、「週刊ポスト」、「週刊朝日」、「週刊実話」、「週刊プレイボーイ」、「週刊アサヒ芸能」、「週刊SPA!」、「ダカーポ」、「文藝春秋」、「中央公論」、「婦人公論」、「新潮45」、「望星」、「Gainer」、「GINZA」、「GON!」、「軍事研究」、「SAPIO」、「裏モノJAPAN」、「ラジオライフ」、「リズムアンドドラムマガジン」、「ミュージックマガジン」、「Be−PAL」、「ラピタ」、「ビジネスジャンプ」、「月刊オートバイ」、「バックオフ」、「格安航空券ガイド」「トラベルジャーナル」「編集会議」など

・テレビ/ラジオ
テレビ朝日「スーパー・モーニング」 フジテレビ「特ダネ」「EZ!TV」 NHK BS2「週刊ブックレビュー」 CS日本「本よみうり堂〜隠れ家で読書」 文化放送「吉田照美のやる気MANMAN!」 FM西東京「ONE WOLRD IN 西東京」

(講演)
「地平線会議」で元日本だった場所について発表。(2003年7月)
冒険ライダー賀曽利隆氏の主催する「たき火ふぉーらむ」にて国後島について発表。(2003年11月)など。

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